十和田市現代美術館の、入口のわかりにくさが気になります。
官庁通りから敷地内の芝生の中の道を進み、ガラスの回廊から内部に入ることになりますが、一見した限りでは、どこが出入り口か良くわかりません。
ガラスの回廊の均等に並ぶサッシの一箇所が、出入り口なのです。
建物のコンセプト上、出入り口として目立たせたく無かったのかも知れません。
そのために「玄関入口」と描かれた、デザインされていない看板が置かれているのが残念です。
最近では、均質な空間とでも言うのでしょうか、裏表が無く、どこであっても、同じ意味合い、重さを感じ、動線といった考え方から離れた建物が増えてきたような気がします。
十和田市現代美術館にあっても、ランダムに散った建物の形態から、どこからでも入ることができ、どこからでも出られるような路地的な空間(無方向性)を求めているような気がしました。しかし、料金の徴収の必要など、建物の機能上の問題でガラス回廊を作らざるを得なくなっているような気がします。
「回廊」を進まざるを得ないという段階で動線という考えかたが生じ、無方向性の空間ではなくなっています。
その段階で、玄関というものを再考する必要があったように思います。
キャノピー、門(どちらも建物にあった、さりげなく、小さく、軽やかなものでよいのです。)等、見て「玄関」とわかるような、建築の言葉があれば、「玄関入口」といった雑なものが置かれないですんだような気がします。
テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
- 2008/07/23(水) 00:33:08|
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